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李白は翰林学士に採用されたが、学士と称するのを嫌い、旧い供奉という言い方を 好んだ。翰林学士は令外(りょうげ)の官で、天子の特命に応じていろいろなことができる自由な官職であった。 かんろのへん(甘露の変) 唐の大和9年(835年)、文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件。本件が失敗したことにより 中唐期以降、唐における宦官勢力の権力掌握がほぼ確実となった。 元来、唐では玄宗期の高力士以降、粛宗、代宗期の李輔国、程元振ら宦官が政治